「富のアンバランス」(その1)

今年の3月にカンボジアのアンコールワットの旅行に行きました。
カンボジア私が学生の頃、クメールルージュのポルポトが政権を取り、あの悲惨な大量虐殺がありました(100万人と言われているが330万人との説もある)。

このポルポト政権は偏った社会主義思想で、資本家、知識階級を抹殺し、貨幣制度を無くし、配給と物々交換の時代錯誤な経済政策をとったため、国や国民は塗炭の苦しみを味わい、その後内戦が続き、やっと1993年に平和的な政権が誕生したのです。

長い内戦で国土は地雷が撒かれ、今でも子供たちがその被害にあっています。東南アジアの中でも、その経済的疲弊はひどく、その安価な労働力を求めて、中国や韓国が進出し、日本は最近やっとユニクロのジーンズ工場が進出してきている様です。現地案内人のサンバンさんも、お兄さんが地雷で亡くなり、ホテルのボーイから苦学して大学で日本語を学び、日本人の旅行ガイドになっています。

ポルポトの時代には川で魚を採っても、それを村の監督者に差し出さなければならず、個人の物とはなりませんでした。土地もすべて没収され、個人資産自体が認められない時代が続いたそうです。
そして今、ようやく民主主義国家となり、経済成長率も伸びておりますが、貧困がまだまだひどく、大人の肉体労働(技能が無い場合)は、日当2ドルとのことです。

観光地のアンコールワット、アンコールトムなどには5歳くらいからの子供たちが観光客相手にお土産品を売って生活の糧にしています。
観光バスが止まると小学生低学年くらいからの子供たちが笛や絵葉書、本、キーホルダーなどを買ってもらいに寄ってくるのです。値段は交渉次第ですが、値切るとどんどん安くなり、アンコールワットの写真集などは、同じバスのツアー客でも10ドルで買った人もいますし、私は3ドルでしたが、なかには1ドルで買った人もいました。
物価が安いため、子供たちにしてみれば、その売り上げは親に渡すのでしょうが、貴重な収入源なのでしょう。

中国の上海や西安へ行ったときのことですが、お土産を売りに来るのは大人で、物貰いの人達も多く辟易しましたが、カンボジアは小学生の子供たちで、小学生の女の子が小さい妹、弟を連れて売りに来る姿は胸にせまるものがあります。
パンテアイクディの遺跡群でバスから降りた時、何人かの子供たちに1ドルづつあげたのですが、そのうちの一人が一枚の紙片をくれました。10歳くらいの女の子で、微笑みながらくれたのは、花が描かれており、文面からすると彼女の名前はLeak でお礼の文章でした。

手紙1
たぶん、こちらの親切に対する感謝の気持ちなのかよく分かりませんが、私はとても嬉しかったです。文章や筆跡からすると、その子ではなく、親が書いて子供に渡しておいたのかもしれませんが、それならばその親も、子供に家計を助ける為の仕事をさせながら、大切な心を教えているのだと思いました。

小さい子供を朝早くから仕事をさせる親、と日本人は思うかもしれませんが、カンボジアはまだ貧しいのです。市の中心から車で一時間も離れると、農家の家には電気がまだなくて、上下水道もなく、日本の援助で掘った井戸水が貴重なものでした。
手紙2カンボジアの小学校は午前と午後にわけられており、子供たちはどちらかに通います。学校の先生も午前勤務の先生と午後勤務の先生で分かれており、小学校の先生の月給は約50ドルです。それでは生活できないので先生は自宅で塾をひらいており、塾に通って月謝を納められない子供は成績が良くても進級できないとのことです。

その他に子供の父兄は年に3回、先生に1回5ドルの謝礼をしなければならず、お金を払えない子は落第して、それが続くと学校に行きづらくなって登校しなくなることもあるとのことです。学校の先生も塾をしなくては生活できないのです。

観光の遺跡群で警護している警察官が寄って来て、小さい声で、警察官のバッジと胸につける紋章を15ドルで売っていました。

その2へ続く・・・(7月12日更新予定)

八幡屋 野俣正一

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